日本人として
2014.09.04
おはようございます。9月はなるべくブログを更新しようという目標なので本日も臆面も無く登場いたします。ご無礼お許し下さい。私事ではございますが私は起床は早い方です。田舎者かもしれませんが、早く起きたらよく今みたいに事務所に出社する事が多いです。もう他界しましたがよく祖父母に「早起きは三文の徳(得)」と言われましたがあまり得はしている事も無いようですし、徳を積んでいる実感もありません。こう言えば高尚な話に聞こえますが、只、小心者なだけだと思います。会社の事、仕事の事、その他諸々考えていたら目が覚めるのでしょうか?「健全なる精神は健全な肉体に宿る」逆もまた然り。精神的な弱さは肉体的な不調にも繋がります。昨夜より恥ずかしながら贅沢病,不摂生病の化身と揶揄される持病の痛風が嘶きはじめました。これはかなり痛いのですがこれも己の不徳の致すところ、己への戒めとして甘受する所存であります。一昨夜プリン体ゼロのビールが発売されるというニュースを耳にしたので早速衝動買いの愚行に走る「他人に厳しく己に甘い」自分がありそうで怖いです。
おっさんの病気自慢はこれ位にして、本日の新聞記事のTOPにはやはり第二次安倍内閣です。内閣改造等小生の如き小市民に直接関係無い事ではございますが、国はすべての日本人の母なる大地、無関心でいる事が果たして良いのか?自問自答する毎日でございます。それも先日、先の大戦で大日本帝国海軍に所属した元特攻隊員の方とお話しする機会がありました。学徒動員で海軍に招集されたみたいです。戦争末期で学徒出陣という事は今でいう高校生くらいの出兵でしょうか?今90歳位の方なので・・・?彼はとても心配していました。戦争を知らない者が戦争を美化して語る。実際、当時は誰の目に見ても敗色濃厚、本土の都市という都市は米国の大型爆撃機B29の餌食となり空襲により灰と化していたようです。海軍航空隊でも熟練のパイロットはほとんど戦死し学徒出陣の若いパイロットが主流、燃料武器も不足し、これ以上戦うには自らの命をも犠牲にする特攻攻撃もやむ無しという状況だったみたいです。本人曰く、「例え自分の特攻攻撃が功を奏したとしても敵国にとって蚊に刺された程度のダメージしかないのは分かっていました。でも、これで故郷の家族、友人を少しでも守る事が出来るなら自らの命を捨てる事も本望。と自分に言い聞かせて戦いました。」私は率直な疑問で「死ぬ事が分かっていて戦いに行く事は怖くなかったのですか?」と質問しました。「若い人で死ぬことが怖くない人がいますか?でもそれを口にすれば当時は非国民として罵られ私などの軍人は上官に殴る蹴るの暴行を加えられますよ。今の学校の体罰などとは違いますよ。本当にリンチを加えられ半殺しにされます。貴様それでも大日本帝国軍人か!とね。今でいう人権など全くない時代でしたから・・・でもそれ位日本国自体が追いつめられていたのでしょうね。我々のような下々の兵隊にはそのような事を口にするどころか当時は考える事すら悪でした。お国のために死ね!と上官に言われそのまま従うしかなかったのが現実です。軍隊に反抗などありえません。」一同が沈黙する重い言葉でした。話を聞くと、そうする内に一人また一人と出撃命令が出たそうです。決して帰ることないフライトへ・・・。片道分の燃料しかなく。成功しても失敗しても、例え逃げ出しても所詮は海の上。絶対に助からない飛行です。待ち受けるのは死あるのみ。彼の親しかった友人も日毎にだんだん減ってきて、いよいよ自分の番というところで終戦だったそうです。からくも生き延びたと本人がおっしゃっていました。敗戦するや否や自分達が乗っていた戦闘機を破壊する命令が出たようです。敵国の徴収を免れるために・・・その時自分は人間としてではなく所詮武器のひとつだったのか?と思ったそうです。「いわば人間ミサイルですよ。」と・・・。絶対的敗北の無条件降伏です。それでも敵国が日本の国土や国民を侵食するつもりならば家族や友人のためにゲリラとなって抵抗する覚悟もあったそうです。最後に彼は言いました。「戦争はイカン。何があっても武力による解決は絶対イカン。タカ派といわれる政治家の中にもはや一緒に戦った世代は誰ひとりいません。戦争はホントの殺し合いですよ。殺人という平時の大犯罪が例え相手が敵国とは言え命をより多く奪った者が英雄とされる狂喜の世界です。考えて下さい。あなた方はもう40歳も越えているので基本的には現役徴兵ではなく予備役の兵隊です。私は十代で出兵しました。つまり犠牲になって戦うのはあなたの子ども世代です。決して他人事ではありませんよ。家族や知人が次々死んでいく事を想像してみて下さい。そういう観点からも政治は大事なのです。遠い事のようですが真剣に国政の事も考えて下さい。またよくTVで子どもが自殺したりするニュースを見ますが、命は大事にしてください。死にたくなくても死ななければいけない時代もあったのです。死ぬ気があれば何でもできます。命は何にも代えがたいものです。学校やPTAでも子ども達に是非教えて下さい。伝えて下さい。」その言葉を口にする表情、特にその目は老人のものと思えぬ程鬼気迫るものがありました。同じ世代の子どもを持つ私の心には強く響いてきました。それと今仕事をさせて頂いている中学校の子ども達の姿も想像しました。絶対許せません。私が思うに当時戦争の後押ししたのは軍部に先導された国民世論だったと認識しています。これは軍部がマスコミを利用したプロパカンダが要因と思われますが、それでも世論の後押しがあってこその開戦。それからは泥沼の戦いとなり最後には無条件降伏による敗戦。人間歴史から学べ。とよく言われますが戦後約70年平和な時を経て、このように戦争体験者の方々がご高齢により少なくなっている事は現実です。戦後の復興を見事成し遂げた彼らの生の話を聞いて後世に語り続ける事も我々の命題かもしれません。何をお前如きが・・・生意気に・・・といわれるかもしれませんが、自分のような一般人の個々の意識が大切な気がします。今回お話しをお伺いして、今の平和な日本を再興して頂いたすべての方々、戦中に自らを犠牲にして子孫のために戦って頂いた先人達に「感謝。」自分たちが今生かされている喜びに「感謝」を忘れず日々精進したいと誓った中年の独り言です。
おっさんの病気自慢はこれ位にして、本日の新聞記事のTOPにはやはり第二次安倍内閣です。内閣改造等小生の如き小市民に直接関係無い事ではございますが、国はすべての日本人の母なる大地、無関心でいる事が果たして良いのか?自問自答する毎日でございます。それも先日、先の大戦で大日本帝国海軍に所属した元特攻隊員の方とお話しする機会がありました。学徒動員で海軍に招集されたみたいです。戦争末期で学徒出陣という事は今でいう高校生くらいの出兵でしょうか?今90歳位の方なので・・・?彼はとても心配していました。戦争を知らない者が戦争を美化して語る。実際、当時は誰の目に見ても敗色濃厚、本土の都市という都市は米国の大型爆撃機B29の餌食となり空襲により灰と化していたようです。海軍航空隊でも熟練のパイロットはほとんど戦死し学徒出陣の若いパイロットが主流、燃料武器も不足し、これ以上戦うには自らの命をも犠牲にする特攻攻撃もやむ無しという状況だったみたいです。本人曰く、「例え自分の特攻攻撃が功を奏したとしても敵国にとって蚊に刺された程度のダメージしかないのは分かっていました。でも、これで故郷の家族、友人を少しでも守る事が出来るなら自らの命を捨てる事も本望。と自分に言い聞かせて戦いました。」私は率直な疑問で「死ぬ事が分かっていて戦いに行く事は怖くなかったのですか?」と質問しました。「若い人で死ぬことが怖くない人がいますか?でもそれを口にすれば当時は非国民として罵られ私などの軍人は上官に殴る蹴るの暴行を加えられますよ。今の学校の体罰などとは違いますよ。本当にリンチを加えられ半殺しにされます。貴様それでも大日本帝国軍人か!とね。今でいう人権など全くない時代でしたから・・・でもそれ位日本国自体が追いつめられていたのでしょうね。我々のような下々の兵隊にはそのような事を口にするどころか当時は考える事すら悪でした。お国のために死ね!と上官に言われそのまま従うしかなかったのが現実です。軍隊に反抗などありえません。」一同が沈黙する重い言葉でした。話を聞くと、そうする内に一人また一人と出撃命令が出たそうです。決して帰ることないフライトへ・・・。片道分の燃料しかなく。成功しても失敗しても、例え逃げ出しても所詮は海の上。絶対に助からない飛行です。待ち受けるのは死あるのみ。彼の親しかった友人も日毎にだんだん減ってきて、いよいよ自分の番というところで終戦だったそうです。からくも生き延びたと本人がおっしゃっていました。敗戦するや否や自分達が乗っていた戦闘機を破壊する命令が出たようです。敵国の徴収を免れるために・・・その時自分は人間としてではなく所詮武器のひとつだったのか?と思ったそうです。「いわば人間ミサイルですよ。」と・・・。絶対的敗北の無条件降伏です。それでも敵国が日本の国土や国民を侵食するつもりならば家族や友人のためにゲリラとなって抵抗する覚悟もあったそうです。最後に彼は言いました。「戦争はイカン。何があっても武力による解決は絶対イカン。タカ派といわれる政治家の中にもはや一緒に戦った世代は誰ひとりいません。戦争はホントの殺し合いですよ。殺人という平時の大犯罪が例え相手が敵国とは言え命をより多く奪った者が英雄とされる狂喜の世界です。考えて下さい。あなた方はもう40歳も越えているので基本的には現役徴兵ではなく予備役の兵隊です。私は十代で出兵しました。つまり犠牲になって戦うのはあなたの子ども世代です。決して他人事ではありませんよ。家族や知人が次々死んでいく事を想像してみて下さい。そういう観点からも政治は大事なのです。遠い事のようですが真剣に国政の事も考えて下さい。またよくTVで子どもが自殺したりするニュースを見ますが、命は大事にしてください。死にたくなくても死ななければいけない時代もあったのです。死ぬ気があれば何でもできます。命は何にも代えがたいものです。学校やPTAでも子ども達に是非教えて下さい。伝えて下さい。」その言葉を口にする表情、特にその目は老人のものと思えぬ程鬼気迫るものがありました。同じ世代の子どもを持つ私の心には強く響いてきました。それと今仕事をさせて頂いている中学校の子ども達の姿も想像しました。絶対許せません。私が思うに当時戦争の後押ししたのは軍部に先導された国民世論だったと認識しています。これは軍部がマスコミを利用したプロパカンダが要因と思われますが、それでも世論の後押しがあってこその開戦。それからは泥沼の戦いとなり最後には無条件降伏による敗戦。人間歴史から学べ。とよく言われますが戦後約70年平和な時を経て、このように戦争体験者の方々がご高齢により少なくなっている事は現実です。戦後の復興を見事成し遂げた彼らの生の話を聞いて後世に語り続ける事も我々の命題かもしれません。何をお前如きが・・・生意気に・・・といわれるかもしれませんが、自分のような一般人の個々の意識が大切な気がします。今回お話しをお伺いして、今の平和な日本を再興して頂いたすべての方々、戦中に自らを犠牲にして子孫のために戦って頂いた先人達に「感謝。」自分たちが今生かされている喜びに「感謝」を忘れず日々精進したいと誓った中年の独り言です。
PS:東京の靖国神社、鹿児島の知覧特攻基地跡にも足を運んでみました。是非とも一度は・・・とお勧めします。
関連記事
-
2019.01.01
復活!つだにくん奮闘記 -
2015.07.13
『激闘!綾中排球部の二日間』 -
2015.07.11
『いよいよ総体。いざ出陣!』 -
2015.07.10
『本日は全員早出の予定です。』 -
2015.07.07
『雨の日の作業~木取り』 -
2015.07.05
『梅雨のひとときのちょっとしたもの造り』 -
2015.07.03
『新らたな期の門出の誓い』 -
2015.06.30
『今日は会社の大みそか』 -
2015.06.30
『梅雨の晴れ間の材料搬入』 -
2015.06.29
『つだにくんからの報告』
最新記事
- 01月01日 復活!つだにくん奮闘記
- 07月13日 『激闘!綾中排球部の二日間』
- 07月11日 『いよいよ総体。いざ出陣!』
- 07月10日 『本日は全員早出の予定です。』
- 07月07日 『雨の日の作業~木取り』
カテゴリー
アーカイブ