復活!つだにくん奮闘記

栗熊地区防災訓練

2014.08.31
「遠くの親戚より近くの他人」昔からよく言われるこの言葉は本当の事であると災害地をみても一目瞭然の事です。先般の広島の土石流大災害で被災され現在もお困りの被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。とかく日本人は物事を曖昧にしか表現しないとか連帯性を重視し個性が欠如している。とか言われがちですがはたしてそれ自体は「悪」か否か。インターネット等の普及により情報にもはや国境は無いといわれるこの時代になんと時代錯誤の骨董品の如き稀有な愚か者よ。との嘲笑の声も聞こえてきそうな気もしますが、果たして如何?聖徳太子の頃より我々日本人の本文は「和をもって尊しと為す。…」。協調融和は美徳とされた国民性です。敗戦後の戦勝国による占領的教育改革の影響もあり「我が、己が」との利己第一主義の輩が増えたといわれる昨今なれども大多数の日本人の心には古の教えが生き続けていると信じています。身近な社会においても地域コミニティの重視は国策として推進されています。高度経済成長の負の遺産でともいわれる核家族化にともなう「隣は何をする人ぞ」的な社会から地域の人達の「相互扶助」の精神を取り戻そうとする社会傾向にあります。私共のような田舎には古き良き時代の風習が残っているとはいえ、もう一度地域の絆を深めようとする動きは活発に行われています。どの地域においてもその中心的役割を担っているのは高度経済成長期に若手として活躍された団塊の世代といわれている方々らしいです。我が地域も然り。歴代会長をはじめ執行部で活躍されている方々は現役時代には相当な地位にあった人達です。なるほど小生の如き未熟者が口にする事も憚れる事ながら、彼らは第一線で活躍できた御恩を地域のおかげと感じ、故郷のためにと引退された後まだまだ働ける今こそ己が力をボランティアとして最大限発揮してくれているのかなぁ。と感謝の意に絶えません。考えてみるに、率直に言って己が事のみの観点からはこのような面倒くさい事に時間と労力と資金を浪費する事に何の意味もありません。されど故郷の次世代を担う子どもや孫の世代の事を憂慮し奮闘してくださっている事にはお世辞抜きで脱帽します。また我もかくありたい。取り敢えず現役時代は弱小なれども企業活動を通じて微力ながらでもお手伝いしたいと痛感いたしました。今回の防災訓練も主導は栗熊コミニティと栗熊地区の各自治会。また地区消防団ではありましたが初めて学校、PTAも協働させて頂きました。今回はわざわざPTA奉仕活動の日に合わせて日程調整してくださいました。正直言って私自身も恥ずかしながら初めて参加させて頂きました。結果としてはとても良い経験をさせて頂いたというのが率直な感想です。日頃我々PTAのメンバーも地域とのタイアップが如何に重要かを忘れがちになっています。私自身PTA本部役員になってから地域コミニティとの関係の重要性が分かりました。子どもの登下校の見回り。子ども駆け込み110。加えて田園地区であるこの田舎の校区内の「田んぼをしているおっちゃん、おばちゃんは天下無敵です。」悪いことをしていたら怒られる。怒られる程人様の子どもでもよく見てくれています。常識の事ながら下校時の子どもの挨拶が気持ち良いとお褒めの言葉を頂いた事もあります。そこはかとないこの安心感。当たり前のようで当たり前ではないのです。「農作業道具という名の武器を手にし田んぼで鍛え抜かれた農作業をしている老夫婦」は不審者と言われる不届き輩にとっては最強の脅威であり、我々保護者にとっては最高の安心です。地域の人たちの学校活動、運動会へのご協力。PTA廃品回収活動に対する自治会をあげてのバックアップ感謝しても感謝しきれません。きれいごとではありません。これが真実です。真実といえば今回防災士という資格を持つ事で講師としてセミナーをされた通称オレンジマンという人が我が地域に存在します。彼は栗熊小学校PTA前会長で現在は綾歌中学校のPTA会長でもあります。また警察より委嘱を受けた補導員でもあり、前述した防災士でもあり消防団員でもあります。いわば地域活動の良い意味での権化です。そんな彼は幼少の頃は怪童とも評された田舎の秀才でもありました。私もよく知る憧れの近所の兄ちゃんでした。(本人曰く田舎の秀才は街の凡才。高校時には自らの凡夫さは十分理解したとは言っていました。謙遜か?否かは本人のみぞ知る処であります。)当然地元の進学高校を卒業し国立大学を経て大資本の系列会社に就職。コンピューターの技術者であるSE(システムエンジニア)チームリーダーとして活躍されていました。いわば一般にいうところのエリートコースです。全盛期の彼はおそらく私の倍以上の年収を手にしていたと想像します。まだ現役のSEだった頃私は彼に「え~な。高額所得者は。そら仕事の責任と内容は大変かもしれんけどやり甲斐あるやろ?」そのころは3%経済と言われる四国地区には彼らの活躍できる規模の需要も薄く東京を中心とした首都圏が主戦場でありました。つまり家族とは離れ離れの生活が続いていました。「アホやのお前は。金を何のために稼ぐか?金が何のために必要なんや?」と問いかけられ私は即答できませんでした。「給料は高い方がええやん。」という言葉だけ返しました。「俺は家族が生活出来たらそれでええ。離れて生活して少々高い給料もろても何の魅力も無い。人としての生活第一やで。帰ってきて家族と一緒に生活して栗熊の実家を起点として地域で仕事がしたい」と言っていました。「東京の第一線で活躍するエリートSEが何を言うか。絶対そんな事ありえん。」と高をくくって聞き流しました。その数か月後に起業するとの理由で帰省した彼と遭遇。正気の沙汰か?冗談か?耳を疑った私。しばらくして本当にその地位をすべて捨てて会社を興し、ボランティアで道路清掃をするオレンジマンを見かけました。昔から技術者特有の偏屈なところは見受けられた事は否めませんがまさか有言実行とは?進学高校時代のオレンジマンの同級生連中に言わせば「あいつやったらやるやろ。」さして驚く事も無く異口同音の答え。それからの彼の地域での獅子奮迅の活躍ぶりは地域の誰もが知るところです。あのマンパワーはどこから来るのか?理念を通せるモチベーションはどこから来るのか?正直あの人は良く分からん?との摩訶不思議な思いは強まるばかりですが、今でも尊敬はしています。他人を蹴落とし己が事、己が利益。欲得のみぞ我が真理。という魑魅魍魎が跋扈する精神的に汚染された輩共と仕事をする事が多い私にとって商売としての非情は必要なことかもしれませんが「人の道」は最後まで厳守できる日本人としてありたいなと思った一日でした。今日参加のすべての皆様に「感謝!」。



防災セミナーをするオレンジマン。防災食のカレーも頂きました。


消化訓練の様子。


日赤職員さんに教えてもらう応急処置訓練。


この地区防災MAP。危険個所ポスターもオレンジマンの作品です。
手先の器用さと技術的知識はもともと技術屋さんなので天下一品です。
 

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